PUMPQUAKES 読書会vol.1
課題書籍:山内明美「こども東北学」(2011年)
ファシリテーター:佐藤貴宏(PUMPQUAKES)
便宜的な地域区分以上の意味をなす「東北」と呼ばれたこの土地は、歴史的にも様々な困難を強いられてきた。東日本大震災の津波によって壊滅的な被害を受け、激変した太平洋の沿岸部は土地と暮らす人々との交渉により次第に修復されていくはずであった。しかしこの10年、その環境は非倫理的な手段で圧殺されようとしている。そんな新たな災厄に私たちは無意識ではいられない。この本は、だれもが自分のうちに持っている「あたり前に生きようとする力」を仲立ちに、「東北」を知の体系として再定義するため、「東北学」を敢えて冠し展開する可能性が図られている。刊行から十年を経た「こども東北学」を頼りに今それぞれの場所で「東北」を私たちはいかに思考することができるのか。
日時:2022年1月24日12時30分~
場所:ロックカフェピーターパン
料金:無料
予約:要申し込み(定員有)pumpquakes@gmail.comまで氏名をご連絡ください。
(定員に達したため申し込みを締め切りました)
当日までに図書館や書店(古本)などで目を通して参加いただくのが望ましいですが、読んでいない方でも参加可能です。各章の概要は当日共有します。
助成:持続可能な未来へ向けた文化芸術環境形成助成事業(公益財団法人 仙台市市民文化事業団)
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読書会レポート vol.01 山内明美『こども東北学』
2022年1月24日(月)、仙台のrock cafe PETERPANにて読書会を行いました。第1回目は社会学者の山内明美さんの『こども東北学』を読み、集まった参加者の方たちと感想や意見を交わしました。概要をアーカイブとして公開します。
「東北のノスタルジー」とは、誰にとっての風景であり、いつの時代をいい、また、それらはどのようにして作られたか?
第1章 自分がここにあるということ
私たち自らの祖父母がどういった境遇で生活していたか。そのことを通して、大きな歴史としてではなく、今ここの私たちを過去との連続性の中に位置づけることができるかもしれない。著者の祖父がつい酒を飲んで前で寝てしまう行動を、村の皆は「狐が化かした」と言ったということが書かれていた。この辺り(八乙女付近)でも同じようなことがあって、昔は、神社が集会場のような場所であり、そこには楽しい思い出が刻まれていて、だから彼はついそこで飲んで寝てしまったのではないか。昔の村社会は血縁が強く、戦後以前の近所の関係といえば、婚姻などによる繋がりがほとんどで、コミュニケーションのあり方も今とは違う。そういう関係性とは、「死ぬまで付き合う関係」であって、縁が切れることがない前提で付き合うため、良くも悪くも近隣が他者にはならない。人が亡くなった後も寺で「何回忌」としてとりおこなわれる儀式で、死者とも親類とも何度も出会うことになる。
第2章 こども百姓
1993年の平成の大凶作の際、田んぼに著者の父親が火をつけて燃やしたという事実は著者の記憶の中で最も強烈なものだという記述がある。2022年1月に起きたトンガの地底火山の影響も、もしかすれば広範囲での各地の不作につながるのではないか、今後、東北でこれまで何度も起こった飢饉が起こりうるのかもしれないということを想像させた。米は作る人にとっては途方もない労力と賭けのような感覚があるが、消費する方はそういった生産者の背景や思いを感じることは難しい。
今でもほとんどの農家は新米はその時期に少しだけ食し、普段は備蓄米である古古米を食べているという話がされ、新米には信仰に近い気持ちすらあるように思うという意見が出された。気密性の高いマンションではコメにすぐ虫湧いてしまうから備蓄などはできない。そういった生活様式の変化によって飢饉が起きたら、それに対処することは難しくなっている。天保の飢饉の供養塔が仙台駅東口にあるが、仙台でもかつて飢饉が起こり、身売り部署が仙台の役所にもあったという。だから全く他人事ではないのではないか。
日本の教科書の中では、蝦夷やアイヌの人たちの歴史は扱われず、思想体系自体も、中央に寄っている。近代教育とは兵士を育てることが一番の目的であり、努力、進歩、知恵、辛抱を美德としていた。そことの隔たりがある土地に暮らす人々に対し未だに「東北弁」などの周縁的な言語として「ズーズー弁」などと嘲笑する場面がメディアによって多く見られる。それゆえにこの感覚は、東北に住む人たちのコンプレックスにもなった。著者が幼い頃は、南三陸では僻地教育が行われた。同時期の仙台市泉区にそのような教育はなかったが、学校で話す言葉(国語)と、家で話す言葉(方言)は、無意識のうちに使い分けている。それは現在10歳の息子も同じ。
著者は、自分が食いっぱぐれない自信があると語っている。それは、自分の手で食べ物を育てる自信や、様々な生産者との繋がりで貨幣を介さず食べ物を交換できる実感からきているのだろう。そういう意味では私たちは消費者として、資本主義システムの中のサービスをいかに当てにしているか実感してしまう。「安全、清潔、便利」へ邁進した人類の進歩がそれが「どんな」進歩であって、「何を」もたらしたかを私たちは知る必要がある。そこには進歩するたびに、課題が山積になっていく苦しさがあるが、同時に楽しみや喜びにも触れることができる。国家や巨大資本に圧倒されながらも、デモなどによって自分たちの抵抗の「言葉」で、直接的に訴えることも生活の中で非常に大事
昔の日本は8割が農民だったが、若者を兵士にし、国民意識を作るために天皇を「家族」の長のモデルとして利用した。つまり、国が大きなひとつの家族(家父長制)で、天皇=父親という意識。真ん中には天皇がいる。なので、東京(首都)だから真ん中ではなく、天皇がいるから日本の中心なのだ。しかし、日本の天皇は、中心でありながら、責任逃れもできる存在である。これは憲法上にも書かれていない。
3.11は今後どう教科書に書かれていくだろうか。
第3章 田舎と都会
東北に生まれ育ったことをコンプレックスに思ったことは一度もないというのが現在の30代以下のアイデンティティの傾向としてあるのかもしれない。むしろ大都市が失っているものが全てここにはある自覚もある。しかし「東北らしさ」は、作られたものであり、消費の対象にもなっている。また「愛郷心」は「愛国心」と相性が良く、東北と自分のアイデンティティと分かちがたくあるのは感じてもいる。「愛郷心注意信号」が出る時がある。何気ない会話の中で、自分が住む土地を卑下したと思ったら、一転して美化するような、卑下の裏返しを感じることもある。また、自らの意思とは関係なく差別されることで劣等感や社会的な抑圧が生まれる。そういった差別の社会構造についても考える必要がある。
一方で、東北へのノスタルジーとは、戦後集団で地域から移動した人達が「故郷」を見たときにその感情が生まれ、自分の慰めのために、原風景を作り出していたのではないだろうか? 演歌がその例。
メキシコ、オアハカでは、自分たちの土地を愛する人が多くいて、オアハカの「どこ」が具体的に美しいかを沢山語れる。それはモニュメンタルなものではなく、具合的なもの。だから、大きい意味での「東北いいよね」ということではない。相対化しない、観念化しないことが大事だと思う。
第4章 コメ男の話
ユヴァル・ノア・ハラリのいう、小麦生存政略についての記述は安藤昌益が大昔に言っていたことと同じではないだろうか。太陽はこの世界のエネルギー源であるので、コメは一番エネルギーを貯めている植物だという思想が昌益の思想である。
またメキシコでは、トウモロコシは神様であり、トウモロコシから人は生まれ、トウモロコシに戻っていくような版画も刷られたりする。だから、遺伝子組み換えのタネを作る事に関しては大規模な反対デモが起こる。
第5章 将来の「東北」
宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」に火山の話があり、そこには「自己犠牲」が描かれている。ここから私たちは原発をすぐに連想してしまうが、現在のこの便利な生活が、何を犠牲にしているのだろうか。
著者は、色々な人の声を代弁して、憤っているのだろう。その怒りをすごく感じることができる。東北でこれまで現れなかった憤りを言語化したものに初めて出会ったと感じ、読んだ時、号泣してしまったという経験が語られた。彼女の言葉は、憑依しているよう。人間だけではない、風景や、例えばコメにも、芋にも、そこに己が「ある」という感覚。もしかしたら。このような本を書く事で、著者は原風景を掘り返していっているのではないか。それは、きっと誰にでもできることだと思う。「誰にも、何にも囚われずに」とは、きっとそういう行為によって育まれるだろう。
今ここに住む私たちはかつて「恥ずかしさ」を強いられていたという事実や背景を忘れているのかもしれない。中央、そして近代の人になることで、その恥ずかしさを払拭しようとした。しかし私たちは周りの小さな過去の痕跡をたどることで自らの足元の「ここ」を、自分たちで可愛がる、希望を持って見つめることが未来にとって手がかりになるのではないだろうか。より具体的に見つめていくこと。誰にも、何にも囚われず、差別する側、される側、どちらにも囚われずにいることが大事。