コンテンツへスキップ

『忘れられない日本人――民話を語る人たち』メディア掲載情報

忘れらない日本人書影

「週刊金曜日」2024年4月5日「きんようぶんか」武田砂鉄(ライター)

8人の語り手の人生を通じて自分の記憶を掘る旅が始まる

…語れなかったもの、途絶えてしまったものが無数にある。本書で拾い上げられている語りは自分とは縁遠いものなのか。その縁を手繰り寄せられずにいるだけではないのか、とも思う。(…)自分の記憶を掘る旅が始まる本だ。

「東京新聞」2024年4月20日読書コーナー 平田俊子(詩人)

味わいと温もりに満ちた生涯

…民話とは何か。語りとは何か。著者は繰り返し自問してきただろう。そうしながら語り手との交流を重ね、信頼関係を築いてきた。本書から浮かび上がるのは語り手と聞き手との驚くほどの信頼関係の強さだ。

本書のタイトルは宮本常一の『忘れられない日本人』を連想させる。それは承知の上で「これ以外は考えられなかった」と著者はあとがきに記す。亡くなったあとも脳裏を去ることのない大切な人たちへの経緯や思慕が、このタイトルには込められているのだろう。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/322462

「朝日新聞」2024年4月27日 保坂正康(ノンフィクション作家)

文化遺産をどう次代に託するか

…共同体に伝わる民話の教訓は、昭和の戦争理念と必ずしも合致しない。息子への赤紙(招集令状)を焼却したというエピソードは、民話を繋いできた明治前半生まれの女性には、赤紙は不吉だったことを示す。民話が伝承されなくなった現代、教訓継承の精神と手法を著者から学びたい。

https://book.asahi.com/article/15247458

「河北新報」2024年5月16日文化欄 会田正宣(記者)

民話の語り手の人生に迫る「忘れられない日本人」真の知性と教養教わった

小野さんは「暮らしの中で身に付けた真の知性と教養を教えてくれる、語り手の人生に関心があった」と語る。タイトルは民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」を下敷きにした。宮本の著作が主に西日本をフィールドにしたのに対し、小野さんは宮城を中心に東北を半世紀歩いた。その集大成と言える一冊だ。

「人々の崇高な飾り気のない、果てしない『知性』とも呼ぶべきものに支えられて、いま享受している『文化』と呼ぶべきものがようやく成り立っているのだということに気付かされます」。小野さんは、民話を聞く喜びと驚きを率直に綴った。

https://kahoku.news/articles/20240516khn000005.html

「西日本新聞」2024年5月25日 大竹昭子(作家)

生命の環 握り合うような歓び

民話を集めた本はよくあるが、本書がそれと違うのは、語り手の生きた時代や環境を聞きだし、におい立つ空気のなかに民話の世界を浮き彫りにしたところだ。

(…)不思議な働きをもと身体にも限りがあり、やがては消え去るが、語られた言葉が適切に文字化されれば、別の身体に生きる場を得ることを本書は証明している。それは語る人と記述する人とそれを読む人が、身体という器を介して生命の環を握り合うような歓びのひとときなのだ。

「文藝春秋」令和六年六月一日発行 BOOK倶楽部 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

枯れるとき物語は光を放つ

…小野さんは五十年以上、東北各地を旅してさまざまな民話を聞かせてもらい、文章や映像に記録してきた。結婚を機に仙台に移り住んだので地縁はなく、飛び込みで、「民話を聞かせてもらえませんか」と一軒一軒訪ねて回る旅の記録で、びっくりするほど面白い。

きれいなわき水を思わせる透明度の高い文章は、読むほどに心が穏やかに静まっていく。さまざまな語りを自分の身体に入れ、一人ひとりのこえの調子をそのまま文章にするくりかえしの中で獲得した純度ではないかと思われた。語り手の声を温かく柔らかなのに、地の文からは、聞く行為に対する峻厳ともいえる小野さんの姿勢がにじむ声が時折、聞こえてきてハッとさせられた。(…)「無手勝流」と本には書かれているが、小野さんの聞き取りはかなり実証的、科学的である。

https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h8025

「岳人」2024年6月号 日本の山を旅する その22 北上山地早池峰山 服部文祥(登山家・著述家)

昔話の集落へ

…裕福とはいえない生活の、ささやかな楽しみが、母親や祖母から民話を聞くことだった。せがんで繰り返し聞いた物語は百も二百も体のなかに宿っていった。その民話たちが、再び命を与えられ、にじみ出るように語られるとき、話の向こう側に、厚みがあって手触り感にあふれている生活が垣間見える。私が求める命の無骨な力強さがある。

生まれた村からほとんど離れることなく、食べ物はもちろん、衣類や日用雑貨まで自給自足した生活に、私は理屈なしに憧れる。裕福でも、快適でも、便利でも、安心でもないが、生命感にだけは満ちあふれている。

「本の雑誌」2024年6月号 サバイバルな書物 服部文祥(登山家・著述家)

われわれが絶滅させた生き物はオオカミカワウソ母のおはなし

小野和子さんの前著『あいたくて ききたくて 旅にでる』が腰抜かし本だったので、その姉妹本ともいえる新刊は、できるだけゆっくり読もうと思い、見えるところに置いておきながらも、手に取らないようにしていた。だが、結局、引き込まれるように読んでしまった。

(…)現在は便利で裕福になった。毎日新しいお話が本屋に並び、なんらかのお祭り騒ぎが世界のどこかでおこなわれ、それがネットで配信される。だがそれで、我々の心は本当に豊かになったのだろうか。

(…)民話は〈無数の悲しみをくぐり、切れば血の吹き上がる現実をその底に秘め、なお、まことにのどかに、あたたかく、愛情深く醸されて、私たちの前に置かれている〉。どのくらい前に生まれ、何代に渡って引き継がれてきたかもはやわからない物語たちは、最後の語り部によって語られ、文字で記された。それは民話の、静かで美しい断末魔の叫びである。

「北海道新聞」2024年6月23日読書ナビ 澤宮優(ノンフィクション作家)

「時代」浮き彫りにする民話

誰もが民話を好んで話すわけではない。戦前生まれの女性は、民話を聞かせるためには、年を取って話が熟成するまで待つ大切さを語った。そのとき聞き手の心にいつまでも残る力が生まれることを教えてくれた。そこに口承文化の本質がある。

本書が明らかにするのは、民話は地域の風土、庶民の歴史を土台にして生まれ、伝えられるという厳然たる事実である。それゆえ民話を知ることは、現代が忘れた価値を発掘し、今日に生かすという作業につながる。そこから現代の私たちに大きな示唆を与える宝庫になることを示している。